天野桃隣(あまのとうりん)
俳人[日本]
(享保4年12月9日没)
1720年 1月18日 死去
天野 桃隣(あまの とうりん、1639年(寛永16年)- 1720年1月18日(享保4年12月9日))は、江戸時代前期から中期に活躍した俳人。
名は勘兵衛、通称は藤太夫。
別号に初代太白堂、桃翁など。
来歴=
伊賀の上野生まれ。
芭蕉直門で芭蕉の血縁者(『本朝文鑑』)とされる俳人である。
各務支考が唱えた説では松尾芭蕉の従兄弟や甥と伝えられる。
後に芭蕉の門人となり大坂に移り、俳諧を学んで詠歌に携わった。
杉山杉風とともにかるみの句を求めた。
江戸に入り、40歳のころに芭蕉への恩恵により、俳諧師としての独立が認められた。
1694年(元禄7年)に芭蕉が死去した後、彼が著した『奥の細道』の足跡を巡り、1697年(元禄10年)の忌日に『陸奥鵆』全5巻を刊行した。
しかし、その後は容貌が素朴となる等、不遇の晩年を過ごした。
なお、桃隣は戯作者であった桃林堂蝶麿と同一人物説とされている。
墓所は渋谷区瑞円寺。
主な著作物=
『陸奥鵆』
『粟津原』
※両者とも芭蕉の忌日に刊行されている。
『発句合』 - 桃隣が残した唯一の句合評である。
天野桃隣が亡くなってから、304年と307日が経過しました。(111343日)