団藤重光 氏(だんどうしげみつ)
法学者[日本]
2012年 6月25日 死去老衰享年100歳
團藤 重光(だんどう しげみつ、1913年〈大正2年〉11月8日 - 2012年〈平成24年〉6月25日)は、日本の法学者。
専門は、刑法・刑事訴訟法。
裁判官。
学位は、法学博士(東京大学・論文博士 1962年)。
東京大学名誉教授。
日本学士院会員、文化功労者。
文化勲章受章。
位階は正三位。
勲等は勲一等。
団藤 重光とも表記される。
東京帝国大学法学部助教授、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、慶應義塾大学法学部教授、最高裁判所判事、社団法人学士会理事長などを歴任した。
概要=
山口県生まれ、岡山県育ちの法学者である。
専門は刑事法全般に及び、戦後の日本刑事法学の第一人者である。
東京帝国大学、東京大学、慶應義塾大学で教鞭を執ったのち、最高裁判所判事に就任した。
また、宮内庁東宮職参与や宮内庁参与も務め、学士会の理事長も務めた。
また死刑廃止論者の代表的人物でもあった。
温厚な性格で弟子を厳しく指導することはなかったという。
酒(ワイン)を嗜み、料理によって赤白を厳格に飲み分けた。
来歴=
1913年(大正2年)、山口地方裁判所検事局次席検事團藤安夫(1878年 - 1935年)の長男として、山口県吉敷郡山口町で誕生した。
翌1914年(大正3年)、父が弁護士に転身するにあたり、父の郷里の岡山県高梁に近い岡山市へ家族で転居した。
以後、團藤は高等学校卒業まで岡山において成長する。
團藤自身が出身地を岡山であると言及する ……
刑事法学の権威で東大名誉教授や最高裁判事を務め、退官後は死刑廃止を訴えた団藤重光(だんどう・しげみつ)氏が25日午前5時48分、老衰のため自宅で死去した。98歳だった。岡山県出身。葬儀は29日午後1時半から東京都千代田区麹町6の5の1の聖イグナチオ教会大聖堂で。喪主は義妹勝本稔子さん。葬儀委員長は松尾浩也東大名誉教授。 1913年11月山口県吉敷郡山口町(現山口市)に生まれ、岡山県で育つ。35年東京帝大法学部卒。戦後、司法省(現法務省)嘱託として現行刑事訴訟法の立案に参画。東大教授、同法学部長、慶応大教授を経て東大名誉教授に。「刑法綱要総論」などを著し、刑事法学の研究で優れた業績を残した。 74年から83年まで最高裁判事。「疑わしきは被告人の利益に、という鉄則が再審にも適用される」と、再審の門を大きく広げた「白鳥決定」に関与した。「大阪空港公害訴訟」では住民の夜間飛行差し止め請求に理解を示し、参院の定数訴訟でも「異常な格差を放置してきた国会の怠慢」を指摘して「違憲」と主張するなど、リベラルな反対、補足意見を数多く述べた。 定年退官後は天皇陛下が皇太子時代に東宮職参与として、公私にわたり相談役を務めた。日本学士院会員、文化功労者に選ばれ、勲一等旭日大綬章を受章。95年には文化勲章を受章した。 その一方で、最高裁判事として死刑事件に関与した経験を踏まえ、誤判の危険性を理由に死刑廃止を訴えたほか、脳死を法律上の死と認める見解を発表し、論議に一石を投じた。
団藤重光さんが亡くなってから、12年と149日が経ちました。(4532日)