飛鳥井雅経(あすかいまさつね)
公卿、歌人[日本]
(承久3年3月11日没)
(ユリウス暦) 1221年 4月5日 死去享年52歳
飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人。
刑部卿・難波頼経の次男。
二条または明日香井を号す。
官位は従三位・参議。
飛鳥井家の祖。
小倉百人一首では参議雅経。
経歴=
治承4年(1180年)叙爵し、以後侍従などを歴任するが、源頼朝・義経兄弟が対立した際に義経と親しかった父・頼経が配流され、雅経も連座して鎌倉に護送される。
だが、雅経は頼朝から和歌・蹴鞠の才能を高く評価され、頼朝の息子である頼家・実朝とも深く親交を結んだ。
その結果、頼朝から猶子として迎えられ、更に鎌倉幕府政所別当・大江広元の娘を正室とするなど重んじられた。
建久8年(1197年)に罪を許されて帰京する際には、頼朝から様々な贈物を与えられた。
その後、後鳥羽上皇の近臣として重んじられ、建保6年(1218年)には従三位に叙せられ、承久2年(1220年)には参議に任命された。
また、院における歌壇でも活躍している。
和歌は秀句を好み、後鳥羽上皇に「雅経は、殊に案じかへりて歌詠みしものなり(=雅経はとりわけあれこれ思いめぐらして歌を詠む者である)」と評されたが、本歌のことばをとりすぎるという批判もあった。
建仁元年(1201年)7月和歌所寄人となり、また同年11月には上古以来の和歌を撰進する。
更にこれを機に始まった勅撰和歌集『新古今和歌集』(元久2年(1205年)奏進)の撰者の一人となった。
更に蹴鞠でも ……