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経覚(きょうかく)

侶・法相宗、興福寺別当[日本]

(文明5年8月27日入滅)

(ユリウス暦) 1473年 9月19日 死去享年79歳

経覚(きょうかく/ぎょうかく、応永2年(1395年)- 文明5年8月27日(1473年9月19日))は、室町時代の法相宗の僧侶。
父は関白・九条経教、母は浄土真宗大谷本願寺(後の大谷家)の出身。
母方の縁で後に本願寺8世となる蓮如を弟子として預かり、宗派の違いを越えて生涯にわたり師弟の関係を結んだ。
興福寺別当である寺務大僧正を4度務めたことでも知られている。
諡号は後五大院。
生涯= 経覚の母親(法号・正林)が本願寺の出である事は記録などにも残されているが、具体的な身元は明らかになっていない。
ただし、経覚の生年から5世綽如の娘であったとするのが一般的であり、これに基づけば蓮如の父である存如は経覚の従兄弟であったことになる。
当時、本願寺は零落状態にあり、摂家である九条家の保護を受けるためにその家司的な事も行っており、経覚の母も九条家に出仕していた際に経教の手が付いたと考えられている。
13歳のとき、興福寺大乗院の考円の元で出家する。
4年後には大乗院の門主となった。
応永33年2月7日(1426年)に興福寺別当に任じられ、以後も永享3年(1431年)・寛正2年(1461年)・文明元年(1469年)に3度別当に補任されている。
中央とも繋がりが深く、6代将軍足利義教ら室町幕府の要人とも親交が深かったが、永享10年(1438年)に幕府への献金の減免を求めて義教の不興を買い、大乗院を追放された。
代わって門主に補任された尋尊との間に直接の師弟関係 ……

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