田所善治郎 氏(たどころぜんじろう)
元プロ野球選手[日本]
2021年 1月6日 死去腸間膜動脈閉塞症享年88歳
田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 - 2021年1月6日)は、静岡県焼津市出身のプロ野球選手。
ポジションは投手。
経歴=
静岡商業では1952年にエース、四番打者として阿井利治とバッテリーを組み、第24回選抜高等学校野球大会に出場。
準決勝では八尾高の木村保に投げ勝つ。
決勝では日野美澄のいた鳴門高を降し、全試合完封勝利で静岡商業を選抜初優勝に導いた。
全試合完封勝利でのセンバツ優勝は戦前の野口二郎、大島信雄に次ぐ史上3人目であった。
同年夏は山静大会準決勝でエース矢頭高雄を擁する都留高に敗退。
他のチームメートに中堅手の横山昌弘がいた。
卒業後、1953年に国鉄スワローズに入団。
同年4月から先発陣の一角として起用される。
5年目の1957年にはエースの金田正一と共に、先発の柱として15勝21敗と初の2桁勝利を記録した。
1959年にも11勝を挙げている。
その後は勝ち星も少なくなり、1964年限りで現役を引退した。
翌年からは国鉄に残って、コーチを務めた。
その後は静岡県野球連盟競技役員として、少年野球チーム「焼津リトルハヤブサ」の代表を務めてた。
現役時代はオーバースローからドロップ、カーブ、シュート、シンカーを武器とした。
2021年1月6日、腸間膜動脈閉塞症のため86歳で死去。
人物=
1958年6月1日の対大洋戦で1試合7被本塁打を記録。
これはセ・リーグ記録である(2023年現在)。
1967年7月の読売ジャイアンツ戦に一塁コ ……
田所善治郎さんが亡くなってから、3年と319日が経ちました。(1415日)