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柳宗理 氏(やなぎそうり)

工業デザイナー[日本]

(柳宗悦の長男)

2011年 12月25日 死去肺炎享年97歳

柳宗理 - ウィキペディアより引用

柳 宗理(やなぎ そうり 、1915年6月29日 - 2011年12月25日)は、20世紀に活動した日本のインダストリアルデザイナー。
金沢美術工芸大学客員教授。
本名は柳 宗理(やなぎ むねみち)。
実父は民芸運動の指導者で思想家の柳宗悦、祖父は柳楢悦。
戦後日本のインダストリアルデザインの確立と発展における最大の功労者と言われる。
代表作は「バタフライスツール」(天童木工製作)。
ユニークな形態と意外な実用性を兼ね備えた作品が多く知られた。
工業デザインの他に玩具のデザイン、オブジェなども手がけた。
来歴= 1915年、東京市原宿に父・柳宗悦と母・兼子の長男として生まれた。
弟に美術史家・柳宗玄(宗悦の次男)、園芸研究家・柳宗民(宗悦の三男)がいる。
1935年、東京美術学校洋画科入学。
バウハウスにいた水谷武彦の講義でル・コルビュジエの存在を知り、デザインに関心を持つようになった。
1940年、東京美術学校洋画科卒。
商工省の水谷良一に誘われ、日本輸出工芸連合会の嘱託となり、当時輸出工芸指導官として来日していたシャルロット・ペリアンの日本視察に同行。
日本各地の伝統工芸に触れる。
1942年、坂倉準三建築研究所の研究員となる。
1943年、太平洋戦争の下、坂倉が設計を進めていた日本文化会館の手伝いのために、研究員の身分のまま陸軍の報道班員として南方戦線の激戦の地フィリピンへ渡る。
この時、ル・コルビュジエの『輝く都市』を ……

日本の工業デザイナーの草分けで文化功労者の柳宗理(やなぎ・そうり、本名宗理=むねみち)氏が25日午前8時10分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。96歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で行う。喪主は妻文子(ふみこ)さん。 民芸運動の創始者、柳宗悦の長男として生まれた。東京美術学校(現東京芸術大)で洋画を学ぶが、戦後に工業デザインを始めた。1957年、チョウが羽を広げたような形をしたいす「バタフライスツール」などをミラノ・トリエンナーレ展に出展し、金賞を受賞。その後も家具、厨房(ちゅうぼう)器具、電気製品、自動車など幅広い分野で優れたデザインを考案し、長く第一人者として活躍した。 金沢美術工芸大の教授としてデザインを教えたほか、父が開設した日本民芸館の館長などを務め、2002年に文化功労者に選ばれた。 (2011/12/26-11:28)

柳宗理さんが亡くなってから、12年と332日が経ちました。(4715日)

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