マティ・アルー 氏Mateo Rojas “Matty” Alou
元メジャーリーガー[ドミニカ共和国]
(1966年ナ・リーグ首位打者)
2011年 11月3日 死去糖尿病の合併症享年74歳
マテオ・ロハス・アルー(Mateo Rojas "Matty" Alou、1938年12月22日 - 2011年11月3日)は、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手(外野手)。
兄のフェリペ・アルーと弟のヘスス・アルーも元メジャーリーガー。
また、モイゼス・アルーは甥にあたる。
経歴=
サンフランシスコ・ジャイアンツで最初の数年間は控え選手であったが、1962年に同率首位で並んだロサンゼルス・ドジャースとの3試合制プレーオフ最終戦で9回に反撃の口火を切るセーフティバントを決め、チームは逆転でワールドシリーズ進出を果たす。
1963年には、シーズン終盤の9月15日に弟ヘススがメジャーに昇格。
当時の監督アルヴィン・ダークの計らいで、すでにレギュラーとして活躍していた兄フェリペとともに兄弟3人で外野を守った事がある。
この時には、スター選手のウィリー・メイズがベンチに退いた。
なお、フェリペは翌年ミルウォーキー・ブレーブスに移籍し、三兄弟がチームメイトとなったのはわずかな期間のみであった。
1966年にピッツバーグ・パイレーツにトレードされると、名コーチのハリー・ウォーカーから指導を受けた事が彼の野球人生において大きな転機となる。
同年は打率.342で自身初タイトルとなる首位打者を獲得。
しかも兄フェリペは打率2位になり、兄弟でのワンツーフィニッシュとなった。
その後も打率5位以内に4回入るなどの活躍を見せる。
1972年途中にオークランド・アスレチックスに移籍し、同年の ……
マティ・アルーさんが亡くなってから、13年と19日が経ちました。(4767日)