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久米通賢(くめみちかた)

洋学者、発明家、測量家[日本]

(天保12年5月7日没)

1841年 6月25日 死去享年62歳

久米通賢 - 洋学者、発明家、測量家

久米 通賢(くめ みちかた、もしくは つうけん、1780年(安永9年) - 1841年6月25日(天保12年5月7日))は、江戸時代の日本の発明家、暦学者、測量家、洋学者などである。
通称は栄左衛門。
伊能忠敬よりも早く、日本初の実測地図を作った人物である。
地元香川県では偉人として顕彰されており、「讃岐のエジソン」「塩田の父」などと称される。
経歴= 1780年(安永9年)、讃岐国大内郡馬宿(現在の香川県東かがわ市)の農家に生まれる。
幼少のころから利発で学問好きな子だったため、引田港から大坂に向かう船の舵取りも務めていた父の嘉兵衛は、大坂に行くたび通賢のために書物を買ってきていた。
また、手先が器用で熊や獅子を粘土で作るのが得意だったため「獅子熊」と呼ばれていた。
7歳の頃、通賢は父に連れられ大坂の町の時計店に行く機会があり、当時最先端の機器であった時計の修繕を熱心に眺めていた。
そこへ別の客がやってきて店の者に時計の修繕を依頼したが、店の者は誰も手がすいていない。
そこで通賢が店の道具を借りて見よう見まねで修繕をしてみたところ、時計は元の通り動くようになったため、皆大いに驚き喜んだという。
1798年(寛政10年)、大坂へ出て暦学者の間重富の門下となり、暦学・数学等を学んだ。
1802年(享和2年)父・嘉兵衛が逝去したため帰郷。
その後も郷里で勉学に励んだ。
江戸時代も末期になると、外国船が日本近海を訪れるようになっ ……

久米通賢が亡くなってから、183年と148日が経過しました。(66989日)

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