金森トシエ 氏(かなもりとしえ)
ジャーナリスト[日本]
(読売新聞元婦人部長)
2011年 9月7日 死去肺炎享年87歳
金森 トシエ(かなもり としえ、1925年9月20日 - 2011年9月7日)は、日本のジャーナリスト。
略歴=
1925年、東京都港区に生まれる。
その後、文京区に移る。
府立第二高等女学校から帝国女子専門学校国文科へ入学。
勤労動員として、紡績工場などで働く。
1945年に中国から出張中であった金森正嘉と結婚。
夫はすぐに中国に戻った。
同年、帝国女子専門学校も自宅も罹災し、宮城県小野田町に妹とともに疎開した。
第二次世界大戦終戦後、夫が中国から帰国し、専業主婦として過ごす。
「夫を朝晩送り迎えしながら、私の人生は過ぎていくのか」とむなしい思いを抱えていたところ、
父親のすすめもあり、1950年に拓殖大学政経学部に3年次編入することになる。
1952年拓殖大学政経学部卒業。
同大学初の女子学生であった。
1952年、読売新聞社に正式採用の女性記者第1号として入社。
戦中に消滅していた「婦人と生活」面が復活することに伴った女性記者の採用であった。
編集局婦人部記者となり、やがて性別役割分業が当然であった時代に、女性差別を批判する記事を解説面に署名入りで書いていった。
1968年、鎌倉市に転居。
1977年から1989年には日本大学芸術学部非常勤講師を務めた。
1979年、婦人部長として活躍し、読売新聞社で女性初の部長職となった。
1981年、定年により非常勤の編集委員となる。
翌年に退職。
退社後は、1982年~1990年に神奈川県立婦人総合センタ ……
金森トシエさんが亡くなってから、13年と76日が経ちました。(4824日)