南洞邦夫 氏(なんどうくにお)
元スピードスケート選手[日本]
(元日本スケート連盟理事長、元日本カーリング協会会長)
2011年 8月12日 死去肺炎享年96歳
南洞 邦夫(なんどう くにお、1916年12月4日 - 2011年8月12日)は、日本のスピードスケート選手。
略歴=
中華民国東北部(満州)の奉天出身。
早稲田大学商学部卒業。
早稲田高等学院1年在学時の1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックで500m22位、5000m31位となった。
1956年コルチナ・ダンペッツオおよび1960年スコーバレーオリンピックの日本選手団スケートチーム監督、1994年リレハンメルオリンピックの日本選手団団長、日本スケート連盟理事長、日本カーリング協会会長などを歴任した。
2000年にオリンピック・オーダー受章。
2011年8月12日、肺炎のため東京都品川区の病院で死去。
94歳没。
南洞 邦夫氏(なんどう・くにお=元日本スケート連盟理事長、元日本カーリング協会会長)12日午前7時10分、肺炎のため東京都品川区の病院で死去、94歳。中国東北部(旧満州)出身。自宅は品川区上大崎4の5の26マンション雅叙苑5号館802号。葬儀は15日午前10時半から千葉県市川市市川1の12の4の昭和セレモニーシティホール市川で。喪主は妻泰子(やすこ)さん。 36年ガルミッシュパルテンキルヘン冬季五輪のスピードスケート日本代表。94年リレハンメル冬季五輪で日本選手団長を務めた。(2011/08/12-21:42)
南洞邦夫さんが亡くなってから、13年と102日が経ちました。(4850日)