ウイリアム・ハーベーWilliam Harvey
解剖学者[イギリス]
1657年 6月3日 死去享年80歳
ウイリアム・ハーベー(William Harvey [ˈhɑːvi]、1578年4月1日 - 1657年6月3日)は、イングランド王国およびイングランド共和国の解剖学者、医師。
苗字はハーベイ、ハーヴィー、ハーヴェーとも表記される。
医者としての腕を磨き宮廷の侍医にまで上り詰める一方で解剖の研究を進め、血液循環説を唱えた。
生涯=
イングランド南部ケントの町フォークストーンで、代々牧羊業を営み運送業も経営する新興階層(ヨーマン)に生まれる。
フォークストーン市長を務めたヨーマンのトマス・ハーベーとジョーン・ホーク夫妻の間に誕生、9人兄弟(7男2女)の長男だった。
1605年に母が亡くなった後に父と兄弟達はロンドンへ移住、4歳下の弟ジョンは宮廷へ仕えて役人として出世、他の兄弟達は貿易商人として成功を収め、父が亡くなる直前に紋章院から紋章の使用を認められ、ハーベー家はヨーマンからジェントルマンへ社会的地位を高めた。
一方、頻繁に金銭トラブルを起こして訴えられたりしている。
1588年にカンタベリーのグラマースクール(キングズ・スクール)へ通い、ラテン語と弁論を習得。
1593年から1599年までの6年間ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジにて修辞学・道徳・政治学・自然哲学を学び、1597年に学士号を習得したが、次第に大学を休みがちになり、1599年10月を最後にケンブリッジ大学を去った。
次にイタリアのパドヴァ大学へ留学、ここで解剖学者ファブリキウス ……
ウイリアム・ハーベーが亡くなってから、367年と168日が経過しました。(134215日)