木原光知子 氏
元競泳選手[日本]
(東京五輪日本代表)
2007年 10月18日 死去くも膜下出血享年59歳
木原 光知子(きはら みちこ、1948年〈昭和23年〉4月5日 - 2007年〈平成19年〉10月18日)は、日本の元水泳選手で、タレント・実業家・スイミングアドバイザー、「ミミスイミングクラブ」創立者。
競技の現役時代、タレント時代前期、実業家としての名前は本名の「木原美知子」となっている。
実兄はJU岡山理事長・JU中四国会長を歴任し現在はミミスイミングクラブを経営するK&Mインターナショナル代表取締役の木原信良。
愛称は「ミミ」。
身長168cm(1975年7月)。
来歴・生涯=
兵庫県明石市で生まれ、岡山県岡山市で育つ。
岡山市立南方小学校、岡山市立旭中学校、山陽女子高等学校、日本大学文理学部卒業。
小学6年生の時「水泳選手になってオリンピックに出たい」という作文を書き、中学時代から田中聡子のあとの日本水泳界を背負う最大のホープと騒がれる。
100m自由形が主であったが、400m自由形や背泳ぎ、バタフライ、個人メドレーなどでもトップクラスのオールラウンダーであった。
進学した山陽女子高校には水泳部がなく、また岡山には冬の間泳げる温水プールはなく、和歌山県白浜や広島県呉市の海上自衛隊の室内プールに通う。
高校在学時に1964年東京オリンピックに出場し「ミミ」の愛称で一躍アイドル選手となった。
競技を引退後は東レの水着モデルを務めるなどタレントに転向。
その後、東レ関連会社の役員や自らの水着ブランドや水泳教室を運営するなどビジネス界に ……
木原光知子さんが亡くなってから、17年と35日が経ちました。(6244日)