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エヴゲーニイ・アレクセーエフYevgeni Ivanovich Alekseyev

海軍大将[ロシア]

(日露戦争時の太平洋艦隊司令長官・極東総督)

1917年 5月27日 死去享年75歳

エヴゲーニイ・アレクセーエフ - ウィキペディアより引用

エヴゲーニイ・イヴァーノヴィチ・アレクセーエフ(ロシア語: Евге́ний Ива́нович Алексе́ев, 1843年5月13日 - 1917年5月27日)は、ロシア帝国の海軍軍人、政治家。
太平洋艦隊司令長官、極東総督として日露戦争の原因を作った人物の一人として知られる。
経歴[編集] 父親も海軍軍人。
1863年、海軍士官学校を卒業。
士官任官後遠洋航海に従事し、世界周航を経験。
1878年、巡洋艦「アフリカ」艦長。
1883年、フランス駐在武官。
1886年、一等巡洋艦「アドミラル・コルニーロフ」艦長となり、3度目の世界周航。
1892年、准将に昇進し、海軍軍令部副総長。
1895年、太平洋艦隊で艦隊司令に補される。
1897年、少将に昇進し黒海艦隊副司令長官。
1899年、ロシア帝国が清国から租借した関東州の駐留軍司令官および太平洋艦隊司令長官に就任。
同年から翌年にかけての義和団の乱鎮圧に従軍し、満州を占領した。
その戦功により中将に昇進。
1902年から1903年にかけて極東政策をめぐってロシア政府内の意見が対日融和論と対日強硬論の二つの意見に分かれると、対日強硬派に属し内相ヴャチェスラフ・プレーヴェやアレクサンドル・ベゾブラーゾフらと「中国だけではなく朝鮮も支配できる」と主張した。
ニコライ2世は強硬論の影響を受けて「朝鮮は多少の危険を冒しても手に入れる価値がある」と考えるようになった。
その結果1903年に大将に昇進、極東総督(ロシア語版)に任じら ……

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