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山本作兵衛 氏(やまもとさくべえ)

炭鉱労働者、炭鉱記録画家[日本]

1984年 12月19日 死去老衰享年92歳

山本 作兵衛(やまもと さくべい、さくべえ、1892年(明治25年)5月17日 - 1984年(昭和59年)12月19日)は、福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家。
日本で初めてユネスコ記憶遺産(世界の記憶)の登録を受けた炭鉱画で知られる。
人物= 出生= 1892年(明治25年)、福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)で、石炭輸送の川舟の船頭の山本福太郎の次男として産まれる。
1899年(明治32年)、1893年(明治26年)に開通した筑豊本線によって石炭輸送の代替が進んだため、福太郎は川舟を廃業して一家で上三緒炭坑(現・飯塚市)に移住し、炭鉱夫に転職した。
作兵衛も7歳で兄とともに炭鉱に入り、父の仕事を手伝うようになる。
絵の始まり、炭鉱へ= 1900年(明治33年)5月5日、弟の初節句祝で贈られた加藤清正の土人形を気に入り、何度も写生したことを自ら描いている。
入学した立岩尋常小学校(現・飯塚市立立岩小学校)では、先生の目を盗んで絵を描いた。
12歳の時には、西洋紙に描いた源平合戦などの絵本を作り、近所の子どもに売って画材や食べ物を買っていた。
しかし家は貧しく、子守や父の手伝いで満足に通えないまま、小学校を卒業した。
小学校卒業後、1904年(明治37年)に山内炭坑(現・飯塚市)の鶴嘴鍛冶に弟子入りし、1906年(明治39年)に15歳で山内炭坑の炭鉱員となった。
1912年(明治45年)1月4日には結婚したが、同年の徴兵検査は難聴で乙種免除となった。
その後、1955年( ……

山本作兵衛が亡くなってから、39年と337日が経過しました。(14582日)

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