原市之進(はらいちのしん)
水戸藩士、幕臣[日本]
(徳川慶喜の腹心、慶応3年8月14日没)
1867年 9月11日 死去暗殺
原 市之進(はら いちのしん)は、幕末期の水戸藩士、一橋徳川家家臣。
徳川慶喜の側近。
藤田東湖の従弟に当たる。
攘夷派の幕臣に暗殺された。
生涯=
天保元年1月6日(1830年1月31日)水戸藩藩士・原雅言の次男として生まれる。
のちに弘道館で学ぶ。
嘉永6年(1853年)昌平坂学問所に入学する。
若い頃より英才の誉れ高く、徳川斉昭に見出される。
水戸に帰国して安政2年(1855年)弘道館の訓導(教師)となり、翌年には経済なども講じる箐莪塾を開き、門弟は500人に及んだ。
藤田小四郎、竹内百太郎、田中愿蔵も門弟に含まれる。
同時に歩行士、小十人組、定江戸奥右筆頭取と昇進していき、馬廻り役に上る。
慶喜の参謀=
文久3年(1863年)、徳川慶喜は将軍後見職に復権した。
幕政を担うため有能な人材を集めていたことから、市之進を側近として迎えた。
元治元年(1864年)、慶喜の側用人であった平岡円四郎が暗殺される。
同年慶喜が禁裏御守衛総督に就くと、市之進は正式に一橋家の家臣となった。
以降、慶喜を補佐し重要な機密に携わるようになる。
慶応2年(1866年)、慶喜より幕臣として取り立てられ、後に目付に就任。
7月に将軍・家茂が急死すると、その後継を引き受けるか迷う慶喜は、徳川家が今までのように持ち堪えられそうになく、いっそ幕府を廃して王政を復古するのはどうか、と市之進に相談する。
市之進は慶喜にその本心を絶対に漏らさぬよう厳重 ……
原市之進が亡くなってから、157年と23日が経過しました。(57367日)