小掛照二 氏(こがけてるじ)
元陸上選手、指導者[日本]
(日本オリンピック委員会名誉委員)
2010年 5月9日 死去肝不全享年79歳
小掛 照二(こがけ てるじ、1932年(昭和7年)12月18日 - 2010年(平成22年)5月9日)は、広島県甲奴郡上下町(現・広島県府中市上下町)出身の元陸上選手。
陸上競技指導者。
元三段跳世界記録保持者。
日本陸上競技連盟(日本陸連)副会長、名誉副会長。
日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。
日本オリンピアンズ協会元副会長。
来歴=
中国山地山間の町、上下町の農家の長男として生まれる。
叔父、父も甲奴体協のリレーメンバーで、恵まれた体を生かし幼少期から跳躍の素養を発揮した。
同郷の先輩・織田幹雄(アムステルダムオリンピック(1928年))、から南部忠平(ロサンゼルスオリンピック(1932年))、田島直人(ベルリンオリンピック(1936年))まで三大会連続で金メダルを獲り、当時は日本のお家芸だった三段跳を教師の勧めで始める。
当時の日本では子供が"ホップ・ステップ・ジャンプ"、と遊びで使うほど、三段跳は人気種目だった。
新制高校1期生となった1948年、広島県立上下高校からジャンパーの歩みが始まる。
三段跳や走高跳、走幅跳などで多くのタイトルを獲得、全国高校陸上選手権の第二回、三回大会では一人で上下高校を総合2位に導いた。
前述の織田、西田修平らの誘いで早稲田大学に進学し早稲田大学競走部で活躍。
大学時代は伸び悩んだものの1955年、大昭和製紙入社後は才能が開花。
翌1956年、跳べば自己記録を更新、当時の新聞は「メルボルンに光明」と大きく ……
小掛照二さんが亡くなってから、14年と196日が経ちました。(5310日)