河合義隆 氏(かわいよしたか)
映画監督[日本]
1990年 4月30日 死去自殺享年44歳
河合 義隆(かわい よしたか、1947年1月18日 - 1990年4月30日)は、日本の映画監督、演出家。
映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』の監督。
経歴=
1947年(昭和22年)生まれ。
現在の新潟県上越市出身。
1965年(昭和40年)、錦城高等学校卒業。
同年フジテレビに入社 。
映画部、演出部を経てドラマ制作に携わる。
その後、朝の子供番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」を担当、1971年(昭和46年)にギャラクシー大賞を受賞する。
若くしてディレクターに抜擢後はドラマ制作で活躍。
その後、1981年(昭和56年)にフジテレビを退社してフリーランスとなり 、制作会社「ティンダー・ボックス」を設立。
1985年(昭和60年)にはTBSテレビドラマ 『幕末青春グラフィティ 福沢諭吉』の演出に携わった。
このドラマには荻野目慶子が出演しており、河合はこの時、荻野目と出会った。
翌年、武田鉄矢主演の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』で映画監督デビュー。
『幕末太陽伝』ののちに川島雄三が企画していた浮世絵師写楽を主人公とする『寛政太陽伝』が川島の死で頓挫していたが、河合はその実現化に尽力する中で、銀座セゾン劇場の舞台『きらら浮世伝』(1987年、脚本・横内謙介)の演出を担当する。
映画『もうひとつの原宿物語』の台本執筆中の1990年(平成2年)4月、半同棲状態だった荻野目の自宅マンションにおいて、首吊り自殺。
当時、河合には妻子があった。
……
河合義隆さんが亡くなってから、35年と17日が経ちました。(12801日)