伊藤公象 氏(いとうこうしょう)
美術家[日本]
2024年 7月6日 死去老衰享年93歳
伊藤 公象(いとう こうしょう、本名・一成、英:Kosho Ito、1932年1月26日 - 2024年7月6日)は、土を素材とした陶造形で知られる日本の美術家。
金沢美術工芸大学名誉客員教授。
1932年石川県金沢市生まれ。
1972年より茨城県笠間市を制作の拠点としている。
1970年代より国内外の美術館や国際展において作品を発表している。
息子はアーティストの伊藤遠平。
人物=
1932年に象嵌の名手として知られた彫金家だった伊藤勝典の長男として石川県金沢市に生まれる。
戦時中に若くして父を亡くし、14歳から加賀九谷焼の名工である中村翠恒の門下に入る。
弟子の少ない少数精鋭の工房だったこともあり、粘土作りから、窯場の仕事、釉薬の調合などの技術をわずか数年で学ぶことになる。
この当時から九谷焼の特徴である絵付けよりも、茶碗や花瓶などの形態や造形そのものに関心を持っていた。
やがて陶芸や工芸を取り巻く定型的な人為性に違和感と反発を募らせた伊藤は、5年間の修行期間を経て19歳で窯元を離れる。
創作の道を一度断念した伊藤は、1954年に一転、美術記者を志し富山新聞社へ入社する。
社会部、政治部、地方部の記者として活躍するが、念願の文化部には配属されなかった。
記者として地元の美術作家と出会い、陶芸だけでない広義の美術の世界を知る。
1959年に記者生活を終えると「茫磁」という号を名乗り、本格的に美術作家としての道を歩み始める。
1962年に二紀会の公 ……
伊藤公象さんが亡くなってから、138日が経ちました。