植村謙二郎(うえむらけんじろう)
俳優[日本]
1979年 4月3日 死去十二指腸穿孔享年66歳
植村 謙二郎(うえむら けんじろう、1914年(大正3年)1月3日 - 1979年(昭和54年)4月3日)は、日本の俳優。
東京府豊多摩郡内藤新宿町(現在の東京都新宿区)出身。
来歴・人物=
役者への道、そして徴兵=
1932年(昭和7年)に東京府立第六中学校を卒業後、日本俳優学校に二期生として入学。
尾上菊五郎の下で演技の修行を積み、新興キネマに入所。
1936年(昭和11年)6月公開の『街の姫君』で俳優の仲間入りを果たす。
以降、新興キネマが大日本映画に合併される1942年(昭和17年)までの間に70本以上の作品に出演した。
合併後は大日本映画専属となるが、当時の日本が戦火の渦中にあったことから、間もなく南方戦線に召集される。
終戦…映画からテレビへ=
1945年(昭和20年)、終戦によって植村は大映(大日本映画)に復帰、ここでは戦争の爪痕を引きずった役や、当時の大映の基本路線であった多数のサスペンス作品で活躍した。
1954年(昭和29年)、映画製作を再開した日活に移籍。
ここでもバイプレイヤーとしての才能を発揮し、アクションものでは黒幕役を演ずるようになる。
映画産業が斜陽化した1960年代後半からはテレビドラマに活動の比重を置き、父親・老人役の常連として多くの作品に出演した。
同期には里木佐甫良、山形勲、三津田健、加藤嘉がいた。
1979年(昭和54年)4月3日、十二指腸穿孔のため死去。
65歳没。
主な出演作品=
映画=
大地の愛(1936年、新興キネマ)
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植村謙二郎が亡くなってから、45年と255日が経過しました。(16691日)