笹本恒子 氏(ささもとつねこ)
写真家[日本]
2022年 8月15日 死去老衰享年109歳
笹本 恒子(ささもと つねこ、1914年9月1日 - 2022年8月15日)は、日本の写真家。
一般に「女性報道写真家第一号」とされる。
肖像写真も得意とする。
従来は1918年(9月1日)生まれとする文献があったが(例えば、下記「参考文献」欄記載の「日本写真家事典」)、2011年に刊行された「好奇心ガール、いま97歳」(下記「著書」を参照)により1914年生まれであることが明確にされた。
来歴=
東京府(現東京都品川区)出身。
高等専門学校の家政科に通うも、絵の勉強に専念したかったため中退。
その後、父親には内緒で絵の研究所と洋裁学校に通った。
戦前、女性報道写真家がいなかった頃に東京日日新聞(現在の毎日新聞)の挿絵のアルバイト(社会面のカット)として活躍後、東京日日新聞・社会部長の小坂新夫(笹本が子供のころ、笹本家の離れを借りて住んでいた)にすすめられ、(1939年に仮入社し、母親の病気を理由とする10か月の休職ののち、1940年(昭和15年)4月に)財団法人・写真協会(新聞記者・写真家の林謙一らを中心に設立された内閣情報部による国策機関。
写真週報の編集なども担当)に入り、女性報道写真家第1号となる。
笹本も「いろいろな賞状の授与式や除幕式などの催事、海外使節団の動向、著名人や文化人の活動などを海外に紹介する」仕事を行った。
国内で起こった出来事を世界に配信したが、1941年のはじめに兄からの厳しい反対および病気(脚気)のため同協会を ……
笹本恒子さんが亡くなってから、2年と98日が経ちました。(829日)