ラドゥ・ルプ 氏Radu Lupu
ピアニスト[ルーマニア]
2022年 4月17日 死去享年78歳
ラドゥ・ルプ(ルーマニア語: Radu Lupu [ˈradu ˈlupu]、1945年11月30日 - 2022年4月17日)は、ルーマニア出身のピアニスト。
日本ではラドゥ・ルプーという表記が多く見られ、招聘会社KAJIMOTOによる表記も同じ。
ただし、本来 Lúpu の末尾の音節の読みは短く「ルプ」である。
経歴=
ガラツに生まれる。
少年期にピアノを学び始め、1959年にブカレスト音楽院でフロリカ・ムジチェスクに入門、リパッティと同門になる。
1960年より1968年までモスクワ音楽院に留学してスタニスラフ・ネイガウスらに師事する。
1966年第2回ヴァン・クライバーン国際コンクール、1967年ジョルジュ・エネスク国際コンクール、1969年リーズ国際ピアノ・コンクールにおいてそれぞれ優勝者となった。
ルプの名を有名にしたのは、「ヴァン・クライバーン国際コンクールの副賞であるコンサート契約を全部断って帰国した」ことである。
これがソ連当局の要請なのかどうかは不明であるが、この行動はかなり話題となった。
もちろん、これでアメリカへの演奏はしばらくは叶わなくなったものの、リーズ優勝後にデッカと契約し、そのディスクの名声によってアメリカにデビューするという二重の手間をかけた活動でも知られる。
1969年11月のリサイタルでロンドン・デビューを成功させたのを機に、以降はイギリスを本拠に国際的な演奏活動を行う。
1972年に米国デビューし、1978年にはザルツブルク音楽祭にも出演する。
1973年を ……
ラドゥ・ルプさんが亡くなってから、2年と218日が経ちました。(949日)