ヴァン・クライバーン 氏Van Cliburn
ピアニスト[アメリカ]
2013年 2月27日 死去骨がん享年80歳
ヴァン・クライバーン(Van Cliburn、1934年7月12日 - 2013年2月27日)は、アメリカ合衆国のピアニストである。
略歴=
アメリカ合衆国ルイジアナ州のシュリーブポートという町の生まれで、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)。
6歳でテキサス州に家族とともに引っ越した。
12歳で州のコンクールに優勝してヒューストン交響楽団と共演した。
ロジーナ・レヴィーンに師事した後、1958年、23歳で世界的に権威のある第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝。
このコンクールは1957年10月のスプートニク1号打ち上げによる科学技術での勝利に続く芸術面でのソビエトの優越性を誇るために企画された。
クライバーンのチャイコフスキー協奏曲第1番とラフマニノフ協奏曲第3番の演奏後はスタンディングオベーションが8分間も続いた。
審査員一同は審査終了後、ニキータ・フルシチョフに向かって、アメリカ人に優勝させてもよいか、慎重に聞いた。
フルシチョフは「彼が一番なのか?」と確認し、「それならば賞を与えよ」と答えた。
冷戦下のソ連のイベントに赴き優勝したことにより、一躍アメリカの国民的英雄となる。
このコンクールに審査員として参加していたスヴャトスラフ・リヒテルは、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点をつけた。
凱旋公演では、コンクール本選で指揮を担当したキリル・コンドラシンを帯同させている。
この優勝を ……
ヴァン・クライバーンさんが亡くなってから、11年と267日が経ちました。(4285日)