芸能人・経営者のおくやみ情報

鶴嶺山宝一 氏(かくれいざんほういち)

相撲力士[日本]

2020年 3月28日 死去急性心不全享年62歳

鶴嶺山 宝一(かくれいざん ほういち、1959年11月24日 - 2020年3月28日)は、鹿児島県姶良郡加治木町 (現在の姶良市)出身(出生地は東京都墨田区)で、井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)に所属した元大相撲力士。
本名は福薗 好政(ふくぞの よしまさ)。
身長182cm、体重122kg。
最高位は西十両2枚目(1983年7月場所)。
得意手は突っ張り、諸差し、寄り。
引退時の四股名は鶴ノ富士。
来歴= 生まれ育ったのは父・鶴ヶ嶺が居宅及び部屋を構えた墨田区であるが、大相撲入り後は父の出身地である鹿児島県を自身の出身地として届け出た。
父が師匠を務める君ヶ濱部屋(のちに井筒部屋に名称変更)へ入門し、中学校卒業後の1975年3月場所初土俵。
同期生には大関若嶋津、霧島、関脇太寿山らがいた。
中でも霧島とは同部屋・同期・同学年の関係である。
入門から6年後の1981年7月場所に弟の福薗(後の逆鉾)とともに十両に昇進したが負け越し、再十両まで1年以上かかった。
再び十両に上がってからは定着し、幕内入りも期待されていたが稽古中に右肩を脱臼し、これが思わぬ重傷となって完治せず、その後は休場を繰り返した。
長期休場の後は三段目や序二段で優勝したが、怪我は長引き、関取復帰を果たせないまま1990年1月場所をもって廃業。
1967年1月に新設された「師匠の実子に限って関取1場所経験」という年寄名跡襲名条件は満たしていたため、この制度を利用して部屋を継承するかどうか ……

鶴嶺山宝一さんが亡くなってから、4年と238日が経ちました。(1699日)

「鶴嶺山宝一」と関連する故人