山田敬蔵 氏(やまだけいぞう)
元マラソン選手[日本]
(1953年ボストンマラソン優勝)
2020年 4月2日 死去享年94歳
山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月30日 - 2020年(令和2年)4月2日)は、日本のマラソン選手。
ヘルシンキオリンピック男子マラソン日本代表。
現役時代の所属は同和鉱業花岡鉱業所。
経歴・人物=
秋田県北秋田郡大館町(現在の大館市)出身。
15歳の時に満蒙開拓青少年義勇軍に志願して中国大陸・満洲国へ渡った経歴を持つ。
満洲時代に2,000mや10,000mを走って自信をつけたことを語っている。
第二次世界大戦終了後に満洲から引き揚げ、秋田へ帰郷してから本格的に陸上競技に取り組むようになる。
1949年の第4回国民体育大会(東京都)に秋田県代表として一般男子マラソンに出場し、この時に初めて42.195 kmのフルマラソンを走った。
1952年、戦後の日本が初参加となったヘルシンキオリンピックに、マラソン日本代表として出場し、25位。
1953年4月20日、ボストンマラソンにおいて優勝。
記録は2時間18分51秒。
当時世界最高記録とされた(のちに距離不足が判明している)。
1954年の大映映画『心臓破りの丘』(監督:木村恵吾、脚本:須崎勝弥、主演は根上淳で役名は「上田栄三」)は、山田をモデルとしたフィクション作品である。
ボストンマラソンには1953年、1957年、1975年、1976年、1995年からは毎年出場しており、1998年から2001年は70歳以上の部を4連覇している。
2003年にはボストンマラソン優勝50年を記念して招待選手として出場している。
また、優勝年の1953年にちな ……
山田敬蔵さんが亡くなってから、4年と233日が経ちました。(1694日)