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リーガル万吉(りーがるまんきち)

漫才師、リーガル千太・万吉[日本]

1967年 7月30日 死去享年74歳

リーガル万吉 - ウィキペディアより引用

リーガル千太・万吉(リーガルせんた・まんきち)は、昭和期に活躍した漫才コンビ。
概要= 2人共に柳家金語楼一座に属する落語家であった(千太のみ金語楼の弟子でなおかつ金語楼とは同い年)。
落語時代の二人の音源は、「ご存知古今東西落語紳士録」に残っている。
結成のきっかけには二説ある。
金語楼は吉本興業の芸人であり、上方・吉本のしゃべくり漫才、横山エンタツ・花菱アチャコの成功を間近で見た。
それに触発され、試しにこの2人に高座で掛け合いを演じさせて漫才コンビに仕立てたという説。
そして、2人の雑談を面白がった日本コロムビアのディレクターが漫才転向を薦めたという説がある。
1934年に正式に漫才コンビ結成、日本コロムビアの廉価レーベルであるリーガルレコードの専属になり、リーガルの屋号を名乗る。
戦時中は敵性語の使用禁止で柳家千太・万吉に暫時改名した。
レコードは売れに売れ、別名義で他社から発売した分も含め吹き込んだSP盤は200枚に達し、東京漫才界の最高を記録。
戦後はラジオにも活躍の場を広げ、『やきとり』『ぺり住まい』等の演目を十八番とした。
サラリーマン同士の会話のような淡々とした掛け合いを基調とする芸風で、共に落語家出身らしい間と口調は今なお高い評価を得ている。
2008年10月29日、東京漫才を顕彰する“東京漫才の殿堂”への殿堂入りが漫才協会によって発表された。
リーガル千太= リーガル

リーガル万吉が亡くなってから、57年と115日が経過しました。(20934日)

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