島田洋之介 氏(しまだようのすけ)
漫才師、元 島田洋之介・今喜多代[日本]
1985年 7月20日 死去享年71歳
島田 洋之介・今 喜多代(しまだ ようのすけ・いま きたよ)は、戦後に活躍した夫婦漫才コンビである。
夫婦であることを前提にした漫才の先駆けでもあった。
2007年第12回上方演芸の殿堂入り。
メンバー=
島田 洋之介本名
堀 保(ほり たもつ)生年月日
1915年7月5日没年月日
(1985-07-20) 1985年7月20日(70歳没)国籍
日本出身地
兵庫県出石郡出石町言語
日本語最終学歴
豊岡市立出石中学校師匠
島陽之助一座コンビ名
島田洋介・今喜多代→島田洋之介・今喜多代相方
今喜多代芸風
漫才事務所
吉本興業活動時期
? - 1979年親族
島陽之助(兄)、島田光洋(父)、今喜多代(妻)テンプレートを表示
島田 洋之介(しまだ ようのすけ、1915年7月5日 - 1985年7月20日 )
父は、興行師兼芸人のようなことをしていた。
兄は、戦前の剣劇役者として一世を風靡していて、その一座で鍛え上げた時代劇体験が彼の戦後に大いに役立った。
同じ一座には原哲男がいた。
1957年、妻とコンビを結成。
1959年より吉本興業が演芸に再び力を入れ始め開場したうめだ花月に出演、以降吉本の花月の看板でなんば花月、京都花月に出演、1974年に洋介から洋之介に改名。
糖尿病の悪化で1979年に引退。
1985年7月20日に慢性腎不全のため死去した。
大柄でおっとりとした芸風が小柄で小気味良い喋りの喜多代とのコントラストを生み、舞台に上がりセンターマイクの高さの位置を上げるだけでどっと笑いが起きるほどで、人気漫才師と ……
島田洋之介さんが亡くなってから、39年と124日が経ちました。(14369日)