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白井松次郎(しらいまつじろう)

松竹 共同創業者[日本]

1951年 1月23日 死去享年75歳

白井松次郎 - ウィキペディアより引用

白井 松次郎(しらい まつじろう、1877年〈明治10年〉12月13日 - 1951年〈昭和26年〉1月23日)は、松竹の創業者の一人(松竹株式会社社長)。
興行師、劇場経営者として活躍し、旧態依然たる明治の興行界に近代的なシステムを導入したことで知られる。
また上方歌舞伎をはじめ人形浄瑠璃などの古典芸能の保護振興につとめ、その経済的な基盤を支えた面でも功績は大きい。
千日土地建物社長、新興キネマ相談役なども務めた。
来歴・人物= 1877年12月13日、京都三条柳馬場(現・京都市中京区)生れ。
父:大谷栄吉、母:しも。
双生児の弟が大谷竹次郎。
実父栄吉は相撲の興行師で、妻に水場(売店)の経営をさせていた。
明治18年(1885)に祇園花見小路にできた祇園座の水場の株を母方祖父が購入し、一家をあげてその仕事を手伝った。
松次郎も幼いころから家業を手伝いつつ劇場の雰囲気に親しみ、やがて弟竹次郎とともに興行の世界を志すようになる。
1895年、実川正若一座を率いての巡業をはじめて行い、認められて1897年に劇場仲売り白井亀吉の婿養子となったため、松次郎は白井姓となる。
1900年、京都新京極の大黒座を買い取って直営し、1902年、同地に明治座(のちの京都松竹座)を開場、興行界の刷新と演劇改良運動に熱心にかかわるようになる。
この年、弟とともに大阪市南区葦原町に松竹合名会社を設立。
後に東京新富座買収によって東京に進出して以降は、竹次郎が関東の、 ……

白井松次郎が亡くなってから、73年と303日が経過しました。(26966日)

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