銅谷志朗 氏(どうやしろう)
アナウンサー[日本]
(近年は相撲コメンテーターとして活躍)
2018年 10月29日 死去敗血症享年75歳
銅谷 志朗(どうや しろう、1944年(昭和19年)4月30日 - 2018年(平成30年)10月29日)は、日本のアナウンサー(山陽放送→テレビ朝日→フリー)、相撲キャスター、相撲ジャーナリスト。
東京相撲記者クラブ会友。
東京都港区出身。
来歴・人物=
港区立白金小学校、港区立高松中学校、東京都立三田高等学校を経て、明治大学政治経済学部経済学科を卒業後、1968年(昭和43年)4月、山陽放送(現在のRSK山陽放送)にアナウンサーとして入社、ラジオDJ、テレビ広報番粗、ニュースなどを担当。
1971年(昭和46年)4月、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に移籍。
主にニュース、ドラマのナレーション、スポーツ実況(大相撲・プロレス・ボクシング・アーティスティックスイミング・重量挙げ・卓球・競馬・陸上競技フィールド競技など)を担当。
1980年(昭和55年)のモスクワオリンピックの実況も担当した。
相撲においては、1972年(昭和47年)九州場所3日目から約20年間キャスターを務めた『大相撲ダイジェスト』では独特の語り口と分かりやすい解説でお茶の間の人気者となり、また大相撲ファンにとってはお馴染みの顔になり、三賞選考委員も務めた。
42歳の時に膵臓がんの手術を受け、胆嚢を全摘出し、十二指腸の一部と膵臓の頭の部分、胃の3分の2も切除。
その後も蛋白質や脂肪は薬で消化する日々だったが、体調は徐々に回復する。
1991年(平成3年)5月にアナウンス部副部長をもってテレ ……
銅谷志朗さんが亡くなってから、6年と23日が経ちました。(2215日)