寺田瀧雄 氏(てらだたきお)
作曲家[日本]
(宝塚歌劇団専属)
2000年 7月30日 死去享年70歳
寺田 瀧雄(てらた たきお、1931年4月25日 - 2000年7月30日)は、日本の作曲家。
宝塚歌劇団専属として活躍した。
数多くの名旋律で舞台を彩り、20世紀後半の宝塚歌劇を支えたメロディーメーカーであり、「宝塚のモーツァルト」との異名も持つ。
略歴=
和歌山県出身。
大阪音楽大学を卒業後、1956年に作曲家として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
1958年頃から公演の作曲家に名を連ね、劇団専属作曲家として本格的に活動を開始する。
同時期の入団だった演出家植田紳爾や柴田侑宏などの作品に多くの楽曲を提供、大ブームになった『ベルサイユのばら』の主題歌「愛あればこそ」、『風と共に去りぬ』の「明日になれば」など300舞台作品中の約3000曲を手がけた。
現在でも宝塚で歌い継がれている曲の多くが彼の作品である。
歌劇団以外でも大阪万博・国際花と緑の博覧会などの開会式音楽や、美空ひばり主演舞台作品なども手がけるなど、幅広く活躍した。
歌劇団理事にも就任するなど、長年舞台を彩ってきた功績から歌劇団内での影響力は絶大だった一方、生徒間では「寺田先生とのレッスンは絶対に2人以上で受けなくては」との伝言が言い交わされるほど、寺田から生徒たちへのセクシャルハラスメントが問題となっており、寺田の放埓な行状は歌劇団内では公然の秘密であったという。
1999年、当時未成年のタカラジェンヌ(宮本真希は寺田との一件で宝塚を退団)への暴行未遂疑惑など ……
寺田瀧雄さんが亡くなってから、24年と114日が経ちました。(8880日)