島野育夫 氏(しまのいくお)
元プロ野球選手、コーチ[日本]
2007年 12月15日 死去享年64歳
島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 2007年12月15日)は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(外野手)、コーチ、監督、野球解説者。
コーチ時代は相手の癖を盗む特技を生かし、 三宅博は著書で、センスを持ったクセ盗みの名人と記している。
特に星野仙一との監督・コーチコンビでは中日ドラゴンズ・阪神タイガースで優勝を経験しており、低迷期の長かった阪神にあって、島野が在籍していた時期は最下位になったことは一度もなかった。
長男は元競輪選手で現在は柔道整復師の島野敦識。
経歴=
プロ入りまで=
作新学院高校時代の1961年、中堅手として1学年下の八木沢荘六、高山忠克らとともに第33回選抜高等学校野球大会に出場した。
作新学院はセンバツ初出場であったが、2回戦で高松商に敗退。
同年の春季関東大会では決勝に進むが、法政二高の柴田勲に抑えられ敗れた。
夏の甲子園予選北関東大会でも決勝に進むが、宇都宮学園に惜敗し、甲子園に出場できなかった。
卒業後は社会人野球の明電舎に進み、1962年の都市対抗東京都予選準決勝に進出するが、船田和英のいた北洋水産に敗れた。
現役時代=
中日ドラゴンズ時代=
1963年に中日ドラゴンズへ入団。
1965年には一軍に定着し中堅手、右翼手として32試合に先発出場した。
しかし当時の中日は江藤慎一、中暁生、葛城隆雄ら外野手の層が厚く、控え・守備要員としての起用が主だった。
南海ホークス時代=
1968年シーズン途 ……
島野育夫さんが亡くなってから、16年と342日が経ちました。(6186日)