ネルソン吉村 氏(ねるそんよしむら)
元男子サッカー選手[ブラジル→日本]
2003年 11月1日 死去脳出血享年57歳
吉村 大志郎(よしむら だいしろう、1947年8月16日 - 2003年11月1日)は、ブラジル・サンパウロ州アダマンティナ出身のサッカー選手、サッカー指導者。
ブラジル名はネルソン吉村(ポルトガル語: Nelson Yoshimura)。
愛称のネコとはボールタッチの柔らかさがネコがボールとじゃれ合う姿に似ていたことに由来している
。
略歴=
日系2世としてサンパウロ州アダマンティナに生まれる。
16歳の時にサンパウロの中心街に引越し、働きながら夜間高校に通い、休日に日系人のクラブであるグレミオ・レクラチーボ・トウキョウ(Grêmio Recreativo Tokyo)でプレーする日々を送っていた。
しかし1966年のAUSP(日系2世連合会)サッカーリーグで優勝、自身も得点王となったことで転機が訪れ、AUSPの会長の紹介で1967年6月に日本サッカーリーグ初の外国籍選手としてヤンマーディーゼルサッカー部に加入することになった。
吉村はヤンマーディーゼルの現地子会社ヤンマーディーゼル・モトーレス・ド・ブラジル(Yanmar Diesel Motores do Brasil)に旋盤工として勤務していたため、日本のヤンマーディーゼル本社への転勤という形での移籍だった。
一方で吉村は「自分は冷蔵庫の修理会社に勤務していた」と現地子会社に勤務していたという経歴について否定するコメントを残している。
ブラジル時代は俊足FWとして得点を重ねていたが、選手の技術水準が低かったというチーム事情から中盤にポジションを移し、同年4月に加入してい ……
ネルソン吉村さんが亡くなってから、21年と21日が経ちました。(7691日)