アーノルド・トインビーArnold Toynbee
経済史学者[イギリス]
1883年 3月9日 死去享年32歳
アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee、1852年8月23日 - 1883年3月9日)は、イギリスの経済学者である。
「産業革命」を学術用語として広めた歴史家であり、世界最初の隣保館(セツルメント)であるトインビー・ホールを興したセツルメント運動の発起人の1人。
時に「セツルメントの父」とも呼ばれる。
イギリスの歴史家アーノルド・J・トインビーの叔父。
20世紀最大の歴史家の1人に数えられるアーノルド・J・トインビーと区別するため、甥のほうにはミドルネームのジョセフが入れられることが多い。
その生涯=
ロンドンの著名な耳科医で英学士院会員であったジョセフ・トインビーの次男として生まれる。
幼年期は主にウィンブルドンで暮らし、博愛家で『苦悩の神秘』(Mystery of Pain)の著者ジェームズ・ヒントンの影響を受ける。
正規のパブリック・スクールの教育を受けず、ギリシア・ラテンの古典より近代の文学・哲学を好んだ。
ミリタリ・カレッジに入学するが、生来の虚弱のため2年にして去る。
18歳の時、海岸近くの僻村に読書に没頭して1年間を過ごし自己の生涯を歴史哲学の研究に捧げることを決意する。
1873年、オックスフォード大学に入学し読書と友人たちとの議論により、形而上学から宗教問題・経済学へと関心を移す。
この変化はジョン・ラスキンの著作に多くを負っているという。
1878年、ベリオル・カレッジの学生監と講師に就任する。
学生監としてインド行き ……
アーノルド・トインビーが亡くなってから、141年と220日が経過しました。(51720日)