山本慈昭 氏(やまもとじしょう)
僧侶[日本]
1990年 2月15日 死去享年89歳
山本 慈昭(やまもと じしょう、1902年1月25日 - 1990年2月15日)は、日本の僧、福祉活動家。
長野県下伊那郡阿智村出身。
本名は山本 梅雄。
中国残留日本人孤児の肉親捜しに挺身し、200人以上の孤児たちと肉親たちとの再会を実現させた人物であり、「中国残留孤児の父」と呼ばれる。
吉川英治文化賞第16回(1982年)受賞者。
比叡山専修院附属叡山学院卒業。
経歴=
満州での惨劇=
1902年(明治35年)誕生。
8歳で出家し、長野の善光寺、比叡山での修行、ホノルルでの延暦寺別院創設を経て、1937年(昭和12年)に阿智村の長岳寺の住職となり、ここで生涯の大半を過ごすこととなった。
1945年(昭和20年)、阿智村から満蒙開拓移民の一団「阿智郷開拓団」が送り込まれることになり、子供たちの教師役として、当時の国民学校の教員を兼職していた山本が指名された。
山本は不安ながらも妻と2人の娘を連れ、教え子である国民学校の生徒たちを引率して満州へわたった。
当初は1年のみの予定だったが、わずか3か月後、第二次世界大戦末期である同年8月のソ連軍の侵攻で状況が一変。
決死の逃避行の末、山本は妻子と引き離されてシベリア抑留の身となった。
終戦から2年後の1947年(昭和22年)、帰国。
郷里で家族との再会を楽しみにしていたものの、彼を待っていたものは家族ではなく、妻と娘2人の死、そして阿智郷開拓団の8割が日本に戻ることが叶わなかったとの報せだった。
阿智郷開拓 ……
山本慈昭さんが亡くなってから、34年と279日が経ちました。(12698日)