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飯田明弘 氏(いいだあきひろ)

競馬騎手、調教師[日本]

2017年 9月15日 死去病気享年72歳

飯田明弘 - ウィキペディアより引用

飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 2017年9月15日)は、愛知県出身の元騎手・元調教師。
東邦高等学校卒。
息子は元騎手・現調教師の飯田祐史。
孫はタレントの足立梨花。
来歴= 1965年に中京・小林稔厩舎に騎手候補生として入門し、1969年に同厩舎からデビュー。
1年目の1969年には3月1日の中京第2競走4歳未勝利・タカレットで初騎乗を果たすも2着で初勝利はならず、同馬に騎乗した同16日の中京第1競走4歳未勝利で初勝利を挙げる。
夏は北海道シリーズで4勝を挙げるなど、京阪杯ではシュンサクオーでミスマルミチ・フイニイに先着する3着に入り、1年目から2桁勝利の10勝をマーク。
2年目の1970年には5月2日の阪神で初の1日2勝、9月12日・13日の阪神では初の2日連続勝利、中京記念では10頭中10番人気のゼットアローでスピーデーワンダーに勝利して枠連2万馬券の波乱で重賞初勝利を記録。
3年目の1971年には第1回高松宮杯をシュンサクオーで春の天皇賞馬メジロムサシにアタマ差勝利し、天皇賞(秋)ではシュンサクリュウでトウメイの5着に入り、12月11日の中京では初の1日3勝を挙げるるなど初の20勝台となる27勝をマーク。
1972年にはシュンサクリュウで京都記念(春)を制し、天皇賞(春)ではベルワイドの5着に入る。
桜花賞では13番人気のハジメローズでアチーブスターの2着と健闘し、金鯱賞ではシングンで勝利し父シンザンに重賞初勝利をもたらした。
1975年には自己最多の51勝をマー ……

飯田明弘さんが亡くなってから、8年と39日が経ちました。(2961日)

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