ハイン・S・ニョール 氏Haing S. Ngor
俳優[カンボジア→アメリカ]
1996年 2月15日 死去射殺享年57歳
ハイン・ソムナン・ニョール(クメール語: ហាំង សំណាង ង៉ោ、中国名: 呉漢潤、1940年3月22日 - 1996年2月25日)は、カンボジア出身の産婦人科医、俳優、著述家である。
父は潮州系の客家であり、母はクメール人である。
クメール・ルージュに捕えられ4年間収容所に収容された後、タイを経由してアメリカに難民として渡った。
1984年の映画『キリング・フィールド』に出演し、1985年のアカデミー助演男優賞を受賞した。
その後も俳優を続け、1993年の映画『マイ・ライフ』ではマイケル・キートン、ニコール・キッドマンと共演した。
1996年、ロサンゼルスの自宅前で射殺された。
生涯=
ニョールは1940年3月22日にフランス領インドシナ・カンボジアのタケオ州バティ県サムロンヨンで生まれ、外科医、婦人科医としての教育を受けて産婦人科医となった。
1975年4月にポル・ポトのクメール・ルージュがカンボジアを支配して「民主カンプチア」の成立を宣言したときには、ニョールは首都プノンペンで開業していた。
クメール・ルージュ政権が知識人や専門家を次々に処刑していたことから、ニョールは医者であることや教育を受けたことを隠し、さらには眼鏡を外した。
1975年5月、クメール・ルージュの「ゼロ年」の社会実験の一環で、ニョールとその妻のミーホイを含む200万人のプノンペンの住民が強制収容所に収容された。
収容後にミーホイは出産し、胎児と共に死亡した。
産婦人科 ……
ハイン・S・ニョールさんが亡くなってから、28年と280日が経ちました。(10507日)