ディス・プラン 氏Dith Pran
報道写真家[カンボジア]
2008年 3月30日 死去膵臓がん享年67歳
ディス・プラン(英語: Dith Pran、 1942年9月27日 - 2008年3月30日)は、カンボジアの報道写真家。
クメール・ルージュ政権下の民主カンボジアで行われたジェノサイドの生存者として、また映画『キリング・フィールド』の題材となったことでも知られている。
略歴=
1942年、アンコール遺跡に近いカンボジアのシェムリアップで、公共事業に従事する父のもとに生まれた。
学校でフランス語を学びながら独学で英語を勉強し、後に米軍から通訳として雇われることとなった。
米軍との関係が切れた後は、1965年のイギリス映画『ロード・ジム』の撮影現場で働いたり、ホテルのフロント係として勤務したりしている。
1975年、ニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)と出会った。
そして、写真の撮り方を独学し、首都プノンペンがクメール・ルージュの部隊によって陥落するさまを取材するために、シャンバーグらと共にカンボジアに残った。
プノンペン陥落後のクメール・ルージュ政権下では、シャンバーグなどの外国人記者は国外に出ることが許されていたが、カンボジア人であるディスは許されなかった。
また、知識人であることがわかると殺されてしまう恐れがあったことから、ディスは教育を受けていたことやアメリカ人の知り合いがいることを隠し、タクシー運転手だったふりをした。
1978年12月にベトナム軍がクメール・ルージュ政権を倒すまでの4年間、ディスは ……
ディス・プランさんが亡くなってから、16年と236日が経ちました。(6080日)