藤池昇 氏(ふじいけのぼる)
プロゴルファー、元プロ野球選手[日本]
2017年 2月19日 死去享年65歳
藤池 昇龍(ふじいけ のぼる、1953年8月24日 - 2017年2月19日)は、福岡県飯塚市出身の元プロゴルファー・元プロ野球選手(捕手)。
プロ野球選手時代の登録名は「藤池 昇」。
来歴・人物=
子供の頃から野球漬けの毎日で、強豪として知られていた飯塚商業に進学。
高校時代から捕手であったが、膝の状態があまり良くなかったため、一塁手を務めることもあった。
身体能力には恵まれていて、打撃練習では100m超えを連発し、それを目にした大洋ホエールズのスカウトの目に留まる。
卒業後は東京六大学リーグでのプレーを希望し、早稲田大学・明治大学のセレクションを受ける。
明大への進学が内定していたものの、1971年のドラフト9位で大洋ホエールズに入団。
子供の頃から夢に見ていたプロ野球選手になりたいとの一心で、大学進学を願っていた両親を説得し、プロ入りを選択したが、足の怪我で出場できなかった。
2年目の1973年、山本恒敬との交換トレードで根本学と共に日拓ホームフライヤーズへ移籍。
膝の状態が悪く、俊足を活かして外野手で出場していたが、3年目の1974年に右膝半月板を故障。
手術してカムバックする道もあったが、一軍出場の無いまま、同年限りで現役を引退。
オールスターゲームで打撃捕手を務めた際には加藤初・鈴木啓示・松岡弘・新浦壽夫の球を捕り、日拓→日本ハム時代は張本勲に大変可愛がられ、愛用のバットを貰ったこともあったが、張本のバットは非 ……
藤池昇さんが亡くなってから、7年と275日が経ちました。(2832日)