たかや健二 氏(たかやけんじ)
漫画家[日本]
2016年 10月2日 死去享年62歳
たかや 健二( - けんじ、本名:石毛 憲一(いしげ けんいち)、1955年8月20日 - 2016年10月2日)は、日本の漫画家。
千葉県・船橋市出身。
経歴=
高校卒業後、専門学校に在学中の1973年から1974年にかけて永井豪のダイナミックプロでアシスタントを務める。
専門学校卒業後、1977年2月に藤子スタジオに入り、藤子不二雄の藤本弘のアシスタントとなる。
1977年6月、『毎日中学生新聞』に「ファウンダー」を連載開始して漫画家デビュー。
1980年、「スペーサー・バン」で第2回藤子不二雄賞を受賞する。
ちなみに第2回藤子不二雄賞同期には「がんばれ!キッカーズ」のながいのりあき、「ラジコンボーイ」の大林かおるなどがいる。
1982年より『別冊コロコロコミック』で「3D甲子園 プラコン大作」を連載開始。
プラモブームを象徴する人気漫画となる。
1984年4月号より『月刊コロコロコミック』でも連載開始され、1985年春まで続く。
小学館てんとう虫コミックス全6巻。
コミックス版ではテクニカルアドバイザーに模型研究家の十川俊一郎を迎え、プラモデル作りの分かり易い解説をしていた。
一時、大林かおると事務所を共有、お互い執筆活動に励んでいた。
1980年11月から1986年10月に独立するまで藤本のチーフアシスタントを務めており、「ドラえもん」、「パーマン」ではメインキャラクターのペン入れを担当したこともある。
「ドラえもん」では『さかさカメラ』『空中つりセット』『ヤメ ……
たかや健二さんが亡くなってから、8年と50日が経ちました。(2972日)