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徳永康元 氏(とくながやすもと)

ハンガリー文学者[日本]

2003年 4月5日 死去心筋梗塞享年92歳

徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 2003年4月5日)は、日本の言語学者、ハンガリー文学者。
経歴= 東京府豊多摩郡大久保町字百人町(後の東京都新宿区百人町)に生まれ育つ。
父徳永重康は東大動物学科出身の古生物学者・地質学者で理学博士・工学博士、早稲田大学教授、東大地質学教室非常勤講師。
実弟の徳永重元も地質学者。
徳永家は元の苗字を吉原と称し、薩摩藩士の家系だった。
重康が高島鞆之助の三女と結婚した時に徳永と名乗り始め、その後離婚に至ってからも苗字はそのままになった。
日本銀行初代総裁吉原重俊は父方の祖父の弟にあたる。
母方の祖父柴田承桂は薬学者で東京大学教授をつとめた。
東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)から同中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を4年修了で卒業し、府立高等学校文科乙類で実吉捷郎や石川道雄に師事。
当初はドイツ文学に傾倒したが、ナチの台頭で多数の作家が追放されるに至りドイツ文学に嫌気が差し、さらに1933年に観劇したモルナール・フェレンツの『リリオム』に感動してハンガリー文学の研究を志すに至った。
東京帝国大学文学部言語学科(ウラル語学専攻)では小倉進平や金田一京助の教えを受ける。
大学にハンガリー語の講義はなかったため、独学でハンガリー語を身につけた。
1936年3月に大学を卒業したが不況で就職の口がなく、小倉の紹介で1936年5月から1939年7月まで ……

徳永康元さんが亡くなってから、21年と231日が経ちました。(7901日)

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