ミスター珍 氏(みすたーちん)
元プロレスラー、タレント[日本]
1995年 6月25日 死去慢性腎不全享年64歳
ミスター珍(ミスターちん、1932年10月12日 - 1995年6月26日)は、日本の元プロレスラー。
本名:出口 雄一(でぐち ゆういち)。
兵庫県宝塚市出身。
身長168cm、体重95kg(全盛時)。
くちひげがトレードマーク。
プロレス界から離れていた一時期、テレビタレントや俳優としても活動した。
来歴=
現役前期(国際柔道協会・全日本プロレス協会・日本プロレス)=
兵庫県警察の機動隊に勤務し柔道の選手として活躍した後、木村政彦や山口利夫が立ち上げた国際柔道協会(プロ柔道)に参加。
その後、山口利夫と行動を共にし全日本プロレス協会に参加、P・Y・チャン(トージョー・ヤマモト)とのタッグで人気を呼ぶも、同団体は興行に失敗し崩壊。
静岡県の山口道場に身を寄せていたが、力道山がレフェリーを務めた地下プロレスの試合に出場、パワーで勝る相手に急所蹴りを敢行し、試合に敗れたが力道山に気に入られ1955年に日本プロレスへ入団した。
チャイナ服を着た中国人スタイルや日の丸に神風と書かれた鉢巻を締める和風スタイルで、下駄を凶器として使用する悪役レスラーとして一世を風靡した。
馬場との対決、欠場そして復帰=
1961年1月7日、名古屋市金山体育館で馬場正平(ジャイアント馬場)と対戦した珍は馬場の16文キックをまともに食ってしまう。
後に珍が「あの時『しまった!』と思った」と語った程強烈なキックでゴムまりの様に吹っ飛ばされ後頭部からキャンバスに叩き ……
ミスター珍さんが亡くなってから、29年と150日が経ちました。(10742日)