フリッツ・ラングFriedrich Christian Anton "Fritz" Lang
映画監督[オーストリア→西ドイツ]
1976年 8月2日 死去享年87歳
フリードリヒ・クリスティアン・アントーン・"フリッツ"・ラング(ドイツ語: Friedrich Christian Anton "Fritz" Lang, 1890年12月5日 - 1976年8月2日 )とは、オーストリア出身の映画監督。
父母ともにカトリックだが、母(旧姓シュレージンガー)はユダヤ教からの改宗者だった。
トレードマークの片眼鏡でも知られる。
略歴=
第一次世界大戦においてはオーストリア=ハンガリー帝国陸軍に入隊したが、戦傷で右目を失明した。
大戦終結後、映画脚本家として映画会社に売り込みをかけていた。
そこをドイツの大手映画会社ウーファのプロデューサーであるエーリッヒ・ポマーの目にとまり、映画界入り。
当時売れっ子監督だったヨーエ・マイの助監督を経た後、『Halbblut』(1919年)で監督デビュー。
1920年の『カリガリ博士』はラングが監督を担当するはずだったが、脚本の改稿だけを担当することになる。
以後、大長編の犯罪映画『ドクトル・マブゼ』(1922年)、ドイツの叙事詩を映画化した『ニーベルンゲン』(1924年)、SF映画の古典的大作『メトロポリス』(1927年)、トーキー初期のサスペンス映画『M』(1931年)など、脚本家である夫人テア・フォン・ハルボウとのコンビで、サイレントからトーキー初期のドイツ映画を代表する作品を手がけた。
アドルフ・ヒトラーの政権が成立すると、ユダヤ人であるラングの立場は危険なものになった。
だが、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスはラング ……
フリッツ・ラングが亡くなってから、48年と111日が経過しました。(17643日)