小島烏水(こじまうすい)
登山家、随筆家[日本]
1948年 12月13日 死去享年76歳
小島 烏水(こじま うすい、1873年12月29日-1948年12月13日)は、日本の登山家、随筆家、文芸批評家、浮世絵や西洋版画の収集家・研究家。
本名は小島 久太。
来歴・人物=
1873年(明治6年)香川県高松生まれ。
横浜商業学校卒業。
横浜正金銀行に入行。
銀行は定年まで勤め、シアトル支店長などを歴任。
横浜商業学校時代に友人と雑誌『学燈』を編集するなど、早くから文筆に興味を持つ。
銀行に入ってから、1896年に出した『一葉女史』により評論家として世に注目される。
また、登山家としても知られ、1897年立川から甲府の昇仙峡まで徒歩で青梅街道を歩く、1899年休暇に浅間山 - 木曽へ山旅するなど、旅を趣味とした。
『日本風景論』(志賀重昂、1894年)の影響もあるといわれ、中部地方の山々(日本アルプス)へ入るようになる。
木暮理太郎、田山花袋、バジル・ホール・チェンバレン(王堂チェンバレン)、ウォルター・ウェストンと交遊がある。
1905年、日本山岳会初代会長となる。
横浜正金銀行から派遣されてシアトルの他サンフランシスコやロサンジェルスにも滞在しており、その際にはシエラ・ネバダ山脈やカスケード山脈にも足跡を残している。
浮世絵や西洋版画の収集家・研究家としても知られ、収集した浮世絵や西洋版画のうち900点余りが、横浜美術館に所蔵されており、展覧会などで紹介されている。
著書=
『船頭小景』・・・新声社(明治32年5月)
『木欄舟』・ ……
小島烏水が亡くなってから、75年と343日が経過しました。(27737日)