テオドール・エードラー・フォン・レルヒTheodor Edler von Lerch
陸軍少将[オーストリア]
(日本にスキーを伝える)
1945年 12月24日 死去糖尿病享年77歳
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ(ドイツ語: Theodor Edler von Lerch, 1869年8月31日 - 1945年12月24日)は、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。
最終階級は陸軍少将。
日本で初めて、本格的なスキー指導をおこなった人物である。
訪日時は少佐で、少佐の時にスキーを日本に伝えたため、日本国内では一般的には「レルヒ少佐」と呼ばれる。
後に中佐に昇格したあと日本各地を回ったため、北海道などでは「レルヒ中佐」と呼ばれる。
西ドイツで国防相、追放者・難民・戦災者相、ドイツ連邦議会議長を務めたカイ=ウヴェ・フォン・ハッセルは母方の甥にあたる。
経歴=
出世とスキー=
1869年、オーストリア=ハンガリー帝国を構成しているハンガリー王国北部のプレスブルク(現スロバキアの首都ブラチスラヴァ)にて、軍人の家庭に生まれる。
幼少期の愛称は「テオ」。
10歳の時、福音学校に入学。
それから3年後、家族はプラハに移るが、レルヒは一人ウィーンのギムナジウムに転学する。
それから3年後、家族のいるプラハへ行き、ドイツ系ギムナジウムに転学。
生活態度は極めて真面目で、3年間首席を通した。
テレジア士官学校
1888年、ウィーナー・ノイシュタットのテレジア士官学校に入学し、1891年少尉に任官。
奇遇にも、父が勤務していたプラハの歩兵第102連隊に配属先された。
配属当初から知的才能、責任感、知識、指導力に秀で、上官や部下への人当たりもよく、勤 ……
テオドール・エードラー・フォン・レルヒが亡くなってから、78年と332日が経過しました。(28822日)