サム・ウッドSam Wood
映画監督[アメリカ]
1949年 9月22日 死去心臓発作享年67歳
サム・ウッド(Sam Wood , 1883年7月10日 - 1949年9月22日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の映画監督。
『オペラは踊る』、『マルクス一番乗り』、『チップス先生さようなら』、『打撃王』、『誰が為に鐘は鳴る』に代表される数多くの大ヒット映画を手掛けたことで知られている。
経歴=
20世紀初頭に不動産ブローカーの傍ら、チャド・アプリゲートの名で俳優として活動していた。
1915年からの2年間をセシル・B・デミルの下で映画助監督として見習いの経験を積んだ。
1919年から映画監督として活動を開始した。
1920年代を通してパラマウント・ピクチャーズの看板スターであるグロリア・スワンソンとウォーレス・リードが出演する映画を多く手掛けている。
1927年にはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)との提携を開始してマリオン・デイヴィス、クラーク・ゲーブル、マリー・ドレスラー、ジミー・デュランテらの出演する映画も手掛けるようになった。
同じシーンを平均20回程度、繰り返し撮影するのが彼の習慣だった。
トーキーの時代に突入してからも、その手腕は高く評価され続けた。
1939年の『風と共に去りぬ』も一部手がけている。
アカデミー監督賞に3回ノミネートされたが、いずれも受賞は出来なかった。
1943年製作の『誰が為に鐘は鳴る』はスペイン内戦を舞台としたアーネスト・ヘミングウェイの同名小説を映画化した作品である。
この作品が ……
サム・ウッドが亡くなってから、75年と60日が経過しました。(27454日)