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倉田準二 氏(くらたじゅんじ)

映画監督[日本]

2002年 1月21日 死去享年73歳

倉田 準二(くらた じゅんじ、1930年1月18日 - 2002年1月21日)は、日本の映画監督である。
神奈川県横浜市出身。
日本映画監督協会所属。
来歴= 日本大学藝術学部映画学科を1950年に卒業後、東映京都撮影所に入社。
伯父の黒川渉三は東映の前身の東横映画の社長であった。
製作事務係を経て助監督となり、丸根賛太郎、マキノ雅弘、内田吐夢、松田定次、佐々木康らに師事。
1958年8月3日に結婚。
1960年、「夜霧の長脇差」で監督デビュー。
工藤栄一らとともに東映時代劇の全盛期の監督として活躍する。
1960年代後半からは邦画の斜陽化によりテレビ映画に進出。
『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ)では山内鉄也と交代でメインの演出を担当した。
1980年代まで時代劇を作り続けた。
2002年1月21日に肺炎の為、京都府京都市で死去(享年72歳)。
人物= 倉田の演出術は正統派だが、特撮を駆使するなど、かなり工夫を凝らしている。
東映京都で共に助監督を務めていた平山亨の証言によれば、倉田は内容が画一的な時代劇の在り方にうんざりしており、他の監督が忌避するような忍者ものが好きであったという。
また『仮面の忍者 赤影』では、当時の主流であった野田高梧の『シナリオ構造論』に基づく手法とは異なる伊上勝の脚本を東映の監督陣が貶す中、倉田は伊上の脚本には「間」があるためそれに触発されてアイデアが浮かぶと評価していた。
監督作品= 映画= 夜霧の長脇差(1961年) ……

倉田準二さんが亡くなってから、22年と304日が経ちました。(8340日)