大津守 氏(おおつまもる)
元プロ野球選手[日本]
2007年 10月2日 死去心不全享年77歳
大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年10月2日)は、福岡県嘉穂郡桂川町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
経歴=
明善高校からノンプロ時代の西日本鉄道を経て、1950年にセ・パ両リーグ分立に際して球団結成したばかりの西鉄クリッパースへ入団。
3年目の1952年にリーグ最多となる46試合に登板して、チームでは野口正明の23勝に次ぐ18勝、リーグ3位の防御率2.73を挙げて主戦投手となる。
1954年9月22日の南海戦では、大津は完投勝ちして南海の連勝記録を18で止める。
同年のシーズンでは18勝、リーグ3位の防御率1.78を記録して、河村久文(25勝)、西村貞朗(22勝)と共に初優勝に貢献。
中日との日本シリーズでも第6戦で勝利投手となる。
1955年には6月4日の近鉄戦(平和台)でノーヒットノーランを記録するなど、河村と共にチーム最多の21勝を記録したが、1956年から2年連続して0勝に終わるなど大不振に陥る。
1957年オフに自由契約となり、1958年に近鉄パールスへ移籍。
近鉄では主戦投手に復活し、チームトップの10勝(22敗)を挙げる。
1958年もミケンズと並んで11勝(20敗)とチームの勝ち頭となったが、近鉄では打線の援護がなく、2年連続防御率ベスト10に入ったにもかかわらず両年とも20敗を記録している。
1960年は開幕試合に先発して敗れると、11試合に先発するが1勝もできず、11連敗のままシーズンを終え、3シーズンを跨いで15連敗を記録したが、1963年限りで現役を引退。
……
大津守さんが亡くなってから、17年と51日が経ちました。(6260日)