藤田小女姫 氏(ふじたこととめ)
占い師[日本]
1994年 2月23日 死去射殺享年57歳
藤田 小女姫(ふじた こととめ、本名:藤田 東亞子〈ふじた とあこ〉、1938年〈昭和13年〉1月4日 - 1994年〈平成6年〉2月23日)は、日本の霊感占い師、経営コンサルタント。
フジタインターナショナルエンタープライズ主宰。
福岡県福岡市出身。
11歳で「天才少女占い師」「千里眼少女」としてマスコミに登場し、時代の寵児となる。
別名は藤田小乙姫とも。
来歴・人物=
1938年、福岡県福岡市に生まれる。
幼いころ、両親が離婚し、父親と生き別れる。
太平洋戦争で実家が空襲に遭ったため、知人を頼って各地を転々とする。
9歳のとき、ハワイの狐が憑依し、霊感を得たという。
1950年、小学校6年生のとき、『産業経済新聞(サンケイ新聞東京)』(5月1日付、現在は『産経新聞』)の社会面トップに「奇跡の少女現る マリを突きながら何でもズバリ」との見出しで占いがよく当たる少女として紹介され、当時は「ことど姫」と名乗っていた。
このあと、産業経済新聞社長だった前田久吉が産経ビルの中に事務所を与えて占い屋を開業させ、前田の後任となった水野成夫が、新聞社の顔というべき題字の運勢を占わせ、小女姫が漢字の『産経』はカタカナの『サンケイ』にしたほうがよいと占うと、水野は迷うことなくその通りにするなど、経営陣から可愛がられた。
昭和30、40年代にも霊感を持つ占い師として雑誌やテレビで取り上げられた。
岸信介、福田赳夫、松下幸之助、小佐野賢治などの ……
藤田小女姫さんが亡くなってから、30年と271日が経ちました。(11229日)