ハイレ・セラシエ1世Haile Selassie I
皇帝[エチオピア]
(エチオピア帝国最後の皇帝)
1975年 8月27日 死去享年84歳
ハイレ・セラシエ1世(ቀዳማዊ፡ኃይለ፡ሥላሴ, Haile Selassie I, 1892年7月23日 - 1975年8月27日)は、エチオピア帝国最後の皇帝(在位:1930年11月2日(戴冠式が行われた月日) - 1974年9月12日)。
アフリカ統一機構初代議長。
生涯=
幼年期=
エチオピア南部のショア地方の貴族の子として生まれる。
血縁上はアドワの戦いで名を馳せた英雄メネリク2世の従兄弟の子にあたり、古代イスラエルのソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリク1世の子孫であることを主張した。
幼少の頃より聡明で、若くして各地の州知事を歴任した。
記憶力が非常に優れており、晩年に至っても重要事項について全てを暗記していて、メモの類を一切必要としなかったという逸話が残っている。
タファリ侯(ラス・タファリ)を称号とした。
摂政=
1916年のクーデター後、メネリク2世の娘で女帝として即位したザウディトゥの皇太子・摂政となり、実権を掌握する。
1924年4月にはヨーロッパ外遊。
エチオピアの国際連盟加盟を実現した。
当時エチオピアに影響力のあったイタリア王国、イギリス、フランスに対抗するため、アメリカ合衆国、大日本帝国に接近した。
皇帝即位=
近代化政策=
ザウディトゥの崩御後、1930年4月にエチオピア帝国皇帝に即位し、同年11月2日に戴冠式が行われた。
1931年7月16日に大日本帝国憲法を範とし、7章55条から成るエチオピア帝国初の成文憲法たる「エチオピア1931年憲法」を制定した。
ハイレ・セラシエ1世が亡くなってから、49年と87日が経過しました。(17984日)