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サウード・アル=ファイサル 氏Saud Al-Faisal bin AbdulAziz Al-Saud

政治家、外相[サウジアラビア]

2015年 7月9日 死去享年76歳

サウード・アル=ファイサル - ウィキペディアより引用

サウード・アル=ファイサル・ビン・アブドルアズィーズ・アール=サウード(アラビア語: سعود الفيصل بن عبد العزيز آل سعود‎、Saud Al-Faisal bin AbdulAziz Al-Saud、1940年1月2日 - 2015年7月9日)は、サウジアラビアのサウード家の一員で、サウジアラビア初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードの孫、第3代国王ファイサルの子。
サウジアラビア外務大臣、国務大臣、国王特別顧問兼特使、外交担当特別顧問を歴任した。
日本語メディアでは「サウド外相」と表記されることが多かった。
来歴= 1964年(1965年とも)にプリンストン大学経済学部を卒業。
卒業後はサウジアラビアに帰国し、石油・鉱物資源省の経済顧問を務めた。
1966年に正式に同省に入省し、1970年2月には業務企画副局長に任命され、1971年から石油・鉱物資源副大臣を務めた。
1975年3月に外務大臣に就任。
以来40年に渡り同職を務めており、世界最長の在任記録を更新していた。
2009年11月20日、最高経済評議会議長に就任し、経済政策についても発言権を得た。
2015年4月29日、健康上の問題を理由に40年間務めた外務大臣を退任した。
後任は駐米大使のジュベイルが就いた。
これと同時に国務大臣、国王特別顧問兼特使、外交担当特別顧問に就任した。
2015年7月9日死去。
75歳没。
外交政策= 2007年9月23日、ライス国務長官と会見するサウード 強硬な反ソ連・反イスラエルの姿勢を示していた。
1977年12月、 ……

サウード・アル=ファイサルさんが亡くなってから、9年と136日が経ちました。(3423日)

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