生方恵一 氏(うぶかたけいいち)
元NHKアナウンサー[日本]
2014年 12月15日 死去肺炎享年82歳
生方 恵一(うぶかた けいいち、1933年〈昭和8年〉3月25日 - 2014年〈平成26年〉12月15日)は、日本のフリーアナウンサー。
元NHKアナウンサー。
1984年、『第35回NHK紅白歌合戦』での「ミソラ発言」で広く知られている。
群馬県前橋市出身。
生方 めぐみ(うぶかた めぐみ)という筆名で作詞を手掛けた曲がいくつかある。
略歴=
実家は履物商。
群馬県立前橋高等学校から早稲田大学政治経済学部に進学。
卒業後、アナウンサーとして1956年に日本放送協会入局。
同期は山川静夫。
1970年代後半から東京局18:00〜19:00のFMローカル枠である『夕べの広場』のDJを務め、「大統領はジミー・カーター、アナウンサーはウブーカーター」などの文言でNHKらしからぬキャラクターで高齢者から若者までに人気を博し、「うぶうぶおじさん」「うぶじい」などの愛称で親しまれた。
『夕べの広場』では、主に火曜日を担当していたが、他の曜日の倍以上のリクエストハガキを集めていたと自身が放送で語ったこともある。
また「この曲で2人」(オリジナルとカバーの聴き比べ)や放送開始直後1曲目の曲当てクイズを行うなど当時のNHKとしては画期的な内容も行われていた。
1984年、『第35回NHK紅白歌合戦』で総合司会を担当。
「ミソラ事件」を起こす。
1985年、大阪局に異動。
この年9月限りでNHKを退職し、10月よりフリーに転身。
この年のNHKでは春に草野仁も退職しており、エース格のアナウンサーを2人 ……
生方恵一さんが亡くなってから、9年と342日が経ちました。(3629日)